息子も純芳君と同じ日に熱中症で倒れました。 広島の名門高校野球部に入部し4ヶ月目のことです。純芳くんほどの体重はありませんでしたが、小太りな体形でした。 入部後、二ヵ月で体重が16Kgも減ったのには驚きましたが、 逆に親としては名門高校の「勲章」にも似た思いで、成長 していく息子を誇らしくも感じていました。 6/25、雨天のため、校舎内でサーキットトレーニングをして いた時一回目の熱中症で病院に運ばれました。2時間ほど意 識の無い状態が続き、命が危ぶまれました。私達が駆けつけ た時には意識は回復していましたが、体温は下がらず、不安 な時間だけが過ぎていったことを思い出します。 翌日には回復し、退院2日後には復帰しました。この時点では親として、熱中症の恐ろしさを理解できておらず、復帰した息子には「頑張れ」とエールを送りましたが、7/24再度学校から電話が入り、病院に担ぎ込まれたことを知らされました。 「頑張れ」と励まし、送り出した時の息子の後姿が電話連絡 を受けたときに脳裏を駆け巡りました。 「息子を殺してしまった・・・・・」後悔を超えた、言い表 すことのできない不安感で一杯になりました。 「頑張れ」では無く「休め」と何故言えなかったのか。 同じことを頭の中で繰り返しながら女房と二人で広島の病院 へ向かいました。到着後、先生に「熱が下がらなかったらど うなるのですか」と質問したところ、「内臓の溶け出しによ り、死に至ります」・・・・この恐ろしい言葉が未だ耳から離れません。 7/26の中国新聞に大きく熱中症が取り上げられ、純芳くんが 亡くなられたこと知りました。純芳くんの記事の下の方に 「広島の高校野球部員も熱中症で倒れる」と息子の記事を 目にしました。息子は助かりましたが、亡くなった子供さん がいる事の現実に大きな衝撃を感じた事を今も忘れる事がで きません。 退院後、実家で8月31日まで休養をとらせ、その間 野球を諦めるよう説得しましたが、どうしても続けたいとの 強い要望があったため、親としての条件を付けました。 ・体力の回復が確認できたら前向きに考える 食事、体力増強、暑さ慣れ この三つを少しづつ毎日のメニ ューとして父親の私がトレーナー役を務めました。 8月の末には13時から15時の一番暑い時間帯でもダッシュと ノックがこなせるようになり、可能性が見えた時には嬉しく もありましたが、復帰後の不安感が先立ちました。 9/1無事復帰することができました。その後一度も倒れるこ とも無く、3年間の高校野球部を引退することができまた。 この出来事は親子、家族を含め「人生の一番大切なもの」を 気付かせてくれました。 現在私はボランティアとして地元中学校の野球部員をコーチングしています。息子を生き還らせてもらった幸運に対して その恩を「中学校野球部のコーチング」として役立てたい と思っています。今月、日本青少年育成協会の教育コーチン グ中級を認定してもらいました。「生き抜くための野球」をテーマにした野球コーチングを今後も続けていきたいと思っています。 純芳君のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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